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スキップとローファー 現代神話の物語

物語

スキップとローファーの6巻を読んで、この物語を追い続けて良かったと満ち足りた気持ちになった。

この物語は多くの人が共感できる高校時代を入学というイベントから丁寧に描いてきた。既に過ぎ去った人達にとっては懐かしく、尊い気持ちにさせる。そして主人公の脇にいる一人一人を丁寧に描くことで、群像劇としての解像度を上げてきた。

今巻のクライマックスが登場人物の一人であるミカの告白だ。当初計算高い女の子として、主人公のライバルとして登場したが、巻が進むにつれて、学校生活のカーストを上げるために歯を食いしばって不断の努力をしてきた子であることが判ってくる。無自覚に自信があり、物語力学に寵愛された主人公に対する、当て馬ライバル。自分が性格が悪いと自覚する客観性の有る視点を持つミカに対して、自分自身の学校カースト生活を重ね共感する人が多いはずだ。そして今回の告白だ。

私は賢くて優しい人が好き。思いやりがあって周りもよく見えてて。私の浅ましさなんかお見通し。そんな人。だから私が好きな人から好きになってもらえることはない。

スキップとローファー

「私が好きな人から好きになってもらえることはない」、自身の思春期の恋を思い返すとこれはグッと来ますよね。。。思春期特有の客観的な厳しい観察眼は、当然鏡に映った自分自身にも跳ね返る、だから自己肯定感が少なく、自分自身をあさましく思い許せない、思考の永遠ループ。

彼女の告白は、彼女の観察眼通り、思いやりがあって優しい彼に断られる。でもその出来事は、新たなトラウマになるのではなく、彼女が大人になる為の通過儀礼となり、殻を破って行動した彼女が、自分の好きになった人は優しい人だった、そして自分も恋をして良いんだと思い至り、溢れる感情を理性的にやり過ごそうとしてやり過ごせず、歩きながら我慢できずに泣くのは尊いなあ。(涙)

6巻にはもう一つ、心動かされるシーンがあった。叔母?のナオさんが青春真っただ中にいる主人公を見て呟く。

将来の夢を応援してくれる家族がいて 放課後買い食いする友達がいて 当たり前に恋バナして 好きな人がいて そういうのが全部 夢みたいに見えるときがあるの あたしの青春時代のコンプレックスなんか あの子に関係ないのに

秋晴れの雲一つない朝、仕事のトラブルの徹夜明け、駅からトボトボと歩く自分の目の前を、初々しい高校生カップルが自転車二人乗りして楽しそうに過ぎ去っていった時に、同じことを想ったことを思い出したなあ(涙)。過ぎ去った後、ふと振り返ると自覚できる青春時代のコンプレックス。そしてそのコンプレックスすらも醒めた夢のように色褪せていく。。。

 現代では誰もが高校時代を経験する。社会に出て働きだした後に思い返すと、良い思い出、悪い思い出も含めてすべてが夢のような時代であった。そう、これこそが誰とでも共有し共感できる、まさしく現代に生きる人達の神話の物語だ。

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