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おめでとう、ありがとう、さようなら、全てのエヴァンゲリオン

物語

エヴァンゲリオンシリーズが遂に完結した。シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を観るまでに、既に心は離れていたが(昔好きだった元カノ的な感じ)、観た後の気持ちを素直に残しておきたい。※ネタバレするので注意!

TVアニメを少年時代にリアルタイムで見た人にとっては、もう四半世紀経っている。そこまで長く続いた物語が完結することは、奇跡だと思う。(完結を迎えそうにない物語、グインサーガ、バスタード、ベルセルク、ガラスの仮面、ハンターハンターetc)

初めて見た頃は、シンジやアスカの世代だった自分が、今はゲンドウの歳に近づいている。そんな人が多かったはずだ。そしてこの映画はそんな人たちが、ライドせざるを得ない構造になっていた。

最初の第三村のシーン時点では、心はまだ冷めていて、相変わらずいじけているシンジにいらつき、生きていたトウジやケンスケを見てもあまり揺れるものはなかった。この物語はどこに向かうんだろうかと、冷静に分析しながら見ていた。

最終決戦に向かう頃から、徐々に身体が温まってきて、美しくただただ凄い映像に引き込まれ始めた。マリが、アスカが、そしてミサトさんが駆ける。

そして遂にシンジとゲンドウの直接対決。二十五年かかって遂にこの場面にたどり着いた。

そしてゲンドウの独白のシーンが来た。

やばいっと思った。これは庵野監督自身のパンツを脱いだ独白だ。少年時代から彼がたどってきた人生の心の軌跡を裸になって見せている。そして、これは私自身の、観客自身の人生の軌跡とも被ってくる。TVアニメをワクワクしながら見ていた少年少女は、青春と挫折を得て、社会人をやっている。親になっている。25年という長すぎる時間はみんなに等しく歳を取らせていて、今この場所に辿りつかせているのだ。やばい。

ラ・ラ・ランドの最後の15分間のリプレイシーンや、クレヨンしんちゃんの大人帝国の逆襲のひろしの回想シーンをのように、映画に自分自身の過去や経験を重ねてしまう魔法がかかり、物語に取り込まれリンクされる。

そして、ゲンドウが自ら納得し、電車を降り、大団円に向かう。

旧劇場版のラストの砂浜で、シンジとアスカは最後に対峙する。あの頃好きだったかもしれないと過去系で告白する。気持ち悪い、から25年後の告白。あの頃あんなにシンジとアスカの関係に夢中だったのに、今日は怒りでなく、清々しい解放感が生まれるのを不思議に思い、そこで悟る。自分の思春期、青春時代は既に終わってしまっているのだ。そして今日、エヴァという永い呪縛からも解放される。だから、おめでとう、だ。少年少女は大人になり、大好きだった人は、切ない片思いや挫折は、全て思い出になる。ただ一切は過ぎていき、僕らは彼岸に運ばれていく。

ラストにアニメがシームレスに現実と溶け合い、シンジとマリは雑踏の中に旅立ち消えていく。エヴァの世界がゆっくりと閉じていく。あのエヴァンゲリオンが終わっていく。。。

強く生きようと思った。

私があなたと知り合えたことを、私があなたを愛してたことを、死ぬまで死ぬまで誇りにしたいから

心に残った劇中歌。これは、登場人物の想いなのか、作品から私たちへのお別れの言葉なのか。。。いや、これは、作品を作った庵野監督やスタッフ、そして観客の私たちからエヴァという特別な作品に贈る言葉、お別れの挨拶なのだと強く思った。こうして、エヴァという物語は、25年という現実の時間と溶け合い、僕らの過去になり、記憶の一部となる。

最後に語れる言葉はこれしかない。

庵野監督、スタッフの皆様、完結おめでとうございます。素晴らしい物語をありがとうございます。さようなら、全てのエヴァンゲリオンとその子供たち。

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